Have a rice day!


ニューズレター Vol. 17


目次:

カリフォルニア・コメ作業(5月)   北川
日本人の農村回帰           北川
すし                 マクファーランド

次回予告
    コメ政策 等         北川 等

はじめに
3月終わりから4月いっぱいまで北カリフォルニアは異常気象で、何日かに一度
雨が降ったり、またその雨もある程度まとまった雨となったりして、コメの植え
付け作業は全体的に遅れております。カリフォルニアは雨に対してこの作付け前
は特に弱く、トラクターやキャタピラの農業用機械が殆ど超大型のために、田圃
が水を含むとそれら大型機械を入れることができなくなり、圃場の整備が大変遅
れます。一方、気温も低く作付けた種籾もうまく発芽するかが心配なくらいです。
シエラネバタには雪も降っており、いつもの年の4月の終わりから5月の始めと
言った雰囲気は全く感じません。とりあえず天候が回復することを祈りまして今
月のニューズレターを始めます。

カリフォルニアのコメ作業(5月)
通常5月は殆どの田圃で圃場整備は終わり、植え付けのための水張りや、飛行機
での植え付け、また早い物は田圃で稲の芽が出て、鮮やかな薄黄緑色に殆どの田
圃が変わっていく時期です。この時期やはり除草剤の散布なども行われ、コメ農
家にとっては大変忙しい時期です。しかし、今年は上記の様に天候が不順で、雨
が多く、気温も低いため作付けに手間取っております。4/27現在の農務省発表
の作付け動向を見るとカリフォルニアは昨年と比べて多少遅い位に見えますが、
これからこの先1−2週間作付けできる面積は非常に限られ、例年に比べて1−
2週間遅れると言った感じになっていくと思われます。また、先月お話しした、
4月の早い作付け品種の内、M401や国宝ローズはこの気候によって作付けは
非常に限られてしまう事が予想されます。それによって2003年産の生産量は限
られることになると思われ、カルローズの高騰に輪をかけて、このM401種の
動向は気になるところです。

カリフォルニア・コメ市況(原料サイドから見た)
2003年の4月末頃の原料市況と言うことでお知らせいたします。これはあくま
でも私個人の私見でありますので、あらかじめご了承下さい。
カリフォルニアの中心カルローズは依然強含みです。現在輸出も国内市場も価格
の高騰で動きが鈍くなり始めております。特に台湾向け輸出は価格的に合わない
ために、出荷が起こっていないと言うことです。2002年産がそれ程多くない
ことに加えて、2003年産の入荷が遅れることになれば、新米期までは価格が
強含みのまま移行することになり、2003年産もその傾向が続いていくことに
なりそうな気配です。
中粒種の晩生品種は先に述べているとおり、作付けが思うように進まず、結果作
付け面積が減る方向に動いているようで、プレミアム中粒種としてM401や国
宝ローズが占めている市場は、2003年産では景気にもよりますが、カルローズ
に向かったり、一部短粒種に変更になったりしていく可能性が有ると思われます。

日本人の農村回帰
アメリカでは歴代の大統領や大企業のオーナーなどは自分の故郷に広大な農場を
持ち、そこで悠々と引退後の生活を送ることが多いようです。田舎は多くの人々
にとって魅力的な生活の場であります。日本でも多くの退職者や退職者予備軍の
方々にとって、田舎はあこがれの場所になりつつあります。
高度成長期には国民の殆どが都会に憧れ出ていったのですが、このごろではその
今でも「過疎地」と呼ばれる場所に行きたいとか戻りたいとか思っていると言う
ことです。その数100万人を越えると言われ、静かなブームとなっているよう
です。その実体として、自分たちの原風景を田舎に見られている方も多いと思い
ますし、実質的に田舎に暮らして少しでも畑をやりながら、自給的な生活を考え
ておられる方が多いと言うことのようです。現在は年金生活者などの方々が、都
会生活から逃れ、悠々自適に暮らされているようですが、今後は環境が良く交通
の便がよい気候の比較的安定した田舎に人々が集まり始めるような兆しです。現
在、日本は情報や通信のインフラも整い、地方も都市も情報の量に関しても差は
なく、田舎という生活環境に仕事を持ち込める可能性が出てきたと言うことです。
むしろ都会の方に問題が多いために都会を離れて、自分らしさを取り戻したいと
か、子供をのびのび育てたいと言うことで、田舎への移住を考えておられる方も
少なくないようです。今後、田舎で生活するためにはある程度の職の供給が必要
となってくると思いますが、その時のキーワードは多分「農業」と「介護」や
「 老人医療」と言うことになっていくと思います。この辺りはまた号を改めまし
てお話ししたいと思います。
今回はこの辺りで。
次回は「コメ政策」についてお話しさせていただきます。
(北川正巳)

すし
Kaoru McFarland
すしに関しては非常におもしろい歴史があります。中国でも盛んにすしが食べら
れた時期があったのです。宋の時代(日本では平安朝の中期から鎌倉時代)のこ
とです。この時代はすしに関しては中国の方が日本より進んでいたようです。
この中国のすしの全盛期に日本から栄西、道元をはじめ多くの名僧が宋に留学し
ていますが、料理法で見ても饅頭などいろいろ輸入されたにも拘わらず、すしに
至ってはひとつも伝わっていなかったようです。当時のお坊さん達は戒律を守り
すしのような魚味の料理は顧みなかったようです。おもにコイの類の腹をさき、
飯、塩、酒を混ぜて詰め込み、軽く重石をしておき1カ月余りで熟していたもの
を食べていたようです。日本三大珍味のひとつに数えられ、寿司の原型と言われ
ている“鮒(フナ)寿司”の製法に似ております。日本の鮒寿司は先に魚をまる
ごと漬け込んでから洗い、さらに飯を加えて本漬けにします。また、飯を伴わな
い単純な魚の酢の物も食べていたようです。これらは京都や大阪でサバやアジの
酢のものを「生(き)ずし」と呼ぶのに近いかもしれません。さらには魚を使う
のではなく、雀を使った雀すしというのが大変流行したこともあったようです。
しかし宋の時代が終わり、あれほど盛んだったすしはその後の蒙古族統治の90年
間で急激に凋落してしまいました。これは支配者なる蒙古人が魚類を好まないと
いう理由からでした。公式の料理の席では魚類は問題にされず、ましてすしなど
は完全にオフリミットであったであろうと想像され、次第次第に下級な料理へと
転落してしまうのです。
この中国ですしが衰亡する時同じくして日本ではすしの進化が始まります。
結局、政治的理由、すしそのものの変化に相伴なって中国では次第に衰退し、一
部痕跡を残すのみとなりました。中国と日本同じ米食民族でありながら一方はす
しを捨ててしまい、一方は国民料理にまで高騰させ、今日では世界中の人に親し
まれるスシにまでなったというのがおもしろい点です。
現在世界中ですしが食べられていますが、握るそばから食べるというのは大正
12年の関東大震災以後の話です。関東大震災以前、握るそばから食べていたの
は屋台店のみで、きちんとしたお店では出前が主流でした。関東大震災で屋台店
がなくなり、それらが一軒の店を構え、屋台店の食べ方まで持ち込み、握るそば
から食べるかたちになったというのですからおもしろいものがあります。
また、今はすしを平たく並べるのが流行ですが、昔は盛り上げていたというのも
興味深いものがあります。
すしは日本の食文化、食べ物と単純に考えていた私ですが、中国でも珍重された
時期があり、またタイなどでその名残が残った食べ物があると聞くと食物史の深
さを感じずにはいられません。
もし中国でもすしが食べ続けられ、進化し今日に至っていたとしたら、今すしを
食べている世界の人々はどちらのすしに軍配を上げるのでしょうか?荒削りな中
国のすし、繊細な日本のすし、ふっと想像してしまいました。
ニュースレターの話題を探していた私にこのすしの資料をお送り下さった小田氏
に感謝します。

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